「土」― ― ―。何を指(さ)す語(ことば)なんだろう。農夫の鍬が露をこぼして掘り起こすそれだろうか。悠久の天の片隅に青く輝やくこの地球だろうか。ふるさととか、人が愛着を感じている土地を意味するのだろうか ― ― ―。
 私(わたし)は、秋の雨が降ったりしていた午後のことを想い出す。私はE町の一角に空を見あげていた。サァテ― ― ―。用事を済ませた私は、市電を待つのが億劫であった。足にまかせて歩き出した。オヤ、コンナ所ニ川ガアル。私はY川を見つけた。スルト、コノ川ニ沿エバK通(私の家のある地)ヘ出ルンダナ。こうして私はその赤紫色の川に沿う道に入った。小川は、染料のために、赤・紫・赤茶・紺・黒と色を変えていった。濁流に得体の知れぬものが押し流され、両岸の石垣から出ているみすぼらしい枝にひっかかっていた。その汚物と暗い町裏の石垣は、私を未知の世界に包み込んでしまった。そこは、エキゾチックと言ってもよい程の感覚で私を浸(ひた)していった。これが「土」というものだろうか。
 黒ずんだトタン板。家々の裏側。機(はた)の音(ね)をすいこんだ川の濁流。ボコッボコッと長靴に汗がにじみ出してきた。ここには私を知る者はいない。常の自分を捨てて、本当の自分というものが出てきたように思えた。その解放されたような自分は、川のまわりの土地を、ある快感でもって見つめた。しかし、そこは必ずしも自分に親しくはなかった。居タケレバ、居テモイイゼ。ダガナ、オマエノコトナゾ、構ワナイカラナ!そういう感情を、その「土」は私に伝えていたのだ。
 私は自動車の前に出る幼児(こども)を、開放感から来るでしゃばりで、路傍に寄せ、運転手の礼を受けた。しかし、その運転手には声がなかったし幼児には粘つく手汗のいやらしさだけが残った。それからのY川の徒行は、息苦しさや、やるせなさであった。長かった。泥水を回り、小橋を過ごし、長い土塀をすり抜け、川に沿った細道は続いた。Y川から、とうとう離れ登り切ってK通りに出ることが出来たとき、何とほっとしたことか。
 K通りに橋がある。その橋を渡ったとき私は驚いた。橋の下にY川が流れているのだ。さきほど、上にK通りがあるとも知らず悶々として歩いていた所なのだ。はるか目の下に見える。私はほっとした。この馴染みのある土地が私自身の「土」だから。そう思った。
 ところが、それは誤っていた。何かが足りなかった。家に帰って、窓の外の雨だれを見た途端、鬱々とした気分が再び私を占領してしまったのだ。では、真(まこと)の「土」とは何なのか、私は黙(もだ)した。否(いな)、川を見つけた時からずっと黙していた。窓は夜にむかい、より暗くなっていった。私にとって「土」とは何だろう。
 翌朝(よくあさ)、私は、どこまでも青い比叡に雲白くかかるもと、K通りを向こうから鳥居辺りへ登ってくる人々を認めた。その時、はっと感じた。わが「土」が何であるのかを。


 これは高校生時代の作文である。学業に関して楽しかった思い出はほとんどない。そのなかで、この作文を月渓宏先生から褒められたことが最も嬉しかった。大学受験という避けられない関門があるというのに、何をどうしていいのか分からず学業成績も低迷していて悶々としていた時期である。
 原稿用紙3枚以内という制約のみで「土」という兼題で自分自身を書いてみた。
 宿題が出た翌週の授業は、佳作の発表に充てられ、先生が数点の佳作を朗読された。色々なスタイルの文章が次々に発表された。ラジオのディスクジョッキー風の作品に感心したことを覚えている。自分には書けない作風だ。ただ、どれも感想文に過ぎない点が物足りなかった。最後に自分の作文が読まれた。なんだか恥ずかしくて俯いてしまったが、月渓先生は講評で手放しに自分が書いたものを褒めてくださった。そのことが、その後の学生生活で自分自身を信じるきっかけになったように思う。


 E町は円町、K通りは北大路通、Y川は紙屋川のこと。K重なりになるのでYとしたが、天神川とも言うのでT川としてもよかったかもしれない。枚数制限があったのでアルファベットを使った。そのお陰で小説ぽくなったかもしれない。文章も削れるだけ削っていったが、結局一行はみ出してしまった。
 紙屋川は北野神社の横の御土居の辺りから地上よりかなり下をえぐって流れており、北大路の下を潜る頃には二十メートルほどの高低差となっている。川の脇を歩いていると北大路通はとても気が付かない。北大路を過ぎて北に進んでいくとだんだんと民家がまばらになり北山の気配が急にし出すので、川から離れ道を登っていくと、はじめて北に来すぎていることに気付くのです。
 ラストシーンは、船岡公園を北大路通に出た辺りから見た今宮神宮の鳥居へ北大路通を上ってくる紫野高校生(ムラコウセイ)の群れをイメージしている。船岡山の南麓に住んでいた自分は、やまの左裾をまわって北大路に出て高校に通っていた。せんきた(千本北大路)辺りから見る比叡山は円錐形にそびえた秀峰であり雨上がりは特に秀麗である。(ムラコウは、今宮神宮の参道を入って左手にある。)

[up net on 26/04/10、07/01]


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藤野正純(Fujino Tadazumi)
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